奇術師と戦争


「ダロガはエリックを連れてペルシャに連れてきた。そこで何カ月か、彼はヨーロッパで言う雨と上天気、つまり権力まかせに気の向くままに日を送った。彼はこうして恐ろしい悪業も犯した。彼には善も悪もわからないように見えた。そして彼は帝国との戦いで、アフガニスタンの首長といとも静かに悪魔的発明を用いて争い、ある種の重要な政治的暗殺にも協力した」
ルルー「オペラ座の怪人」ハヤカワ文庫p466

と原作にあります。
 このペルシャ対帝国のアフガニスタンにおける戦いは「Anglo-Persian War」といいます。戦場となったアフガニスタンの歴史についての記述に出てくる事も稀ですが、実際ナーセロ・ディン・シャーはその治世中アフガニスタンに侵攻した事があります。
 具体的には1856年に「ペルシャ軍のアフガニスタン・ヘラート侵攻」は起こりました。ちなみにその時、ペルシャ軍にはロシアの軍事顧問がついており、最初のうちはペルシャ軍が優勢でしたが、英国海軍がペルシャ湾ブシェールから上陸し、ペルシャ軍は撤退せざるを得ない状態になりました。その後1857年ヴェルサイユ条約が結ばれ古都・ヘラートの領有問題は決着します。


British-Indian forces attacking at the Battle of Kooshab
英印軍のKooshabでの戦い


http://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Persian_War
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%88

 「奇術師が戦争で活躍」というのは意外に思われるかもしれませんが「奇術のテクニックで戦争を勝利に導く」と事例はあります。そんなマジシャンの名は「ジャスパー・マスケリン」。




 ジャスパー・マスケリン(Jasper Maskelyne, 1902年 - 1973年)はイギリスの奇術師。1930年代から1940年代にかけて活躍しました。彼は由緒ある奇術師の家系の出身で、父親はネヴィル・マスケリン、祖父はジョン・ネヴィル・マスケリン、どちらも奇術師であり発明家でした。マスケリンの最もよく知られた業績は第二次世界大戦中にイギリスの軍情報局に協力して行なった大規模な計略、欺瞞、偽装でした。


 一般的には戦争は「戦争」とは軍事力を用いて敵国を攻撃する行為のことです。しかし第二次世界大戦という死者数約数千万人にも及ぶ熾烈を極めた戦争を、彼は軍事力を用いずに戦いました。
 
 
 彼は最初自分のマジックが戦争の役に立つと思い、軍隊に志願しました。しかし年齢が若いということで入隊は許可されなかったのですが、それでも彼は、あきらめず士官学校へ行き、卒業後にイギリス軍に入隊します。

 第二次世界大戦が始まるとマスケリンは自分の技術をカモフラージュに役立てられると考え、イギリス軍の工兵隊に参加しました。彼はテームズ川で鏡と模型を使ってドイツ軍艦のイリュージョンを作ってみせ、当初は懐疑的だった士官を納得させました。彼は西アフリカ戦線に配置され、基本的には部隊の中で奇術を通じて慰安活動を行なっていました。

 しかし1941年1月、アーチボルド・ウェーヴェル大将が欺瞞と防諜を目的とした部隊「Aフォース」を設立した際、ここに任命されたマスケリンは建築家、絵画修復技術者、大工、化学者、電気設計士、電気技師、画家、舞台技師、戦争経験のないステンドグラス職人や、舞台の大道具を作る職人ななど14名からなるグループを組織し、それは「マジックギャング」と呼ばれました。

 マジックギャングは数多くの手品を行ないました。彼等は絵の描かれた布と合板を使ってジープを戦車のように見せかけ、キャタピラの痕跡まで偽装する一方、戦車をトラックに見せかけたり、彼等は軍隊や軍艦のイリュージョンも作ってみせました。

 彼の最大の手品はアレクサンドリアのスエズ運河を隠蔽してドイツ軍の爆撃機の方向を誤らせたことでした。彼はアレクサンドリアから3マイル離れた湾に夜明かり、建物、灯台、高射砲隊といったものの模型を作って「偽のアレクサンドリア」作りました。そのため、ドイツ軍カモフラージュが行われた無人の街に対し毎夜爆撃を加え、アレキサンドリア港が空襲されることは無かったといいます。
 またスエズ運河を隠すために回転する円錐状の鏡を用いて、回転する光で幅9マイルに及ぶ光の輪を作ったということです。

 1942年、マスケリンは第二次エル・アラメイン会戦に先立つバートラム作戦に参加しました。これはドイツ軍のロンメル将軍に連合軍が南から攻撃してくると思わせるためのもので、実際にはイギリス軍のモントゴメリー大将は北からの攻撃を計画していました。北には千台もの戦車がトラックに偽装され、南にはマジックギャングによって二千台の戦車の偽物が置かれていました。偽の線路、偽の無線会話、偽の建築音まで偽装された上、偽の水用パイプラインも敷設され、攻撃が行なわれるのはずっと後であるように見せかけました。


 このスエズ運河の防御方法に関しては別の一説もあります。
 「ヒトラー率いるドイツ軍がエジプトを攻撃する時には、スエズ運河を目印に行動していたそうです。マジックギャングは、そこに目をつけ強力なライトで照らすことでスエズ運河を視界から消してしまった。レーダーなどがない時代、目印のスエズ運河が消えたことでドイツ軍は、エジプトに爆撃を行うことができなかったといいます。
 スエズ運河を隠す方法が「鏡による光」「強力なライト」と少々違いがあります。共通するのは「まぶしい光」でしょうか…。

 他にも、敵の戦闘機に向け、強力なストロボで照らすことによって目をくらませ、操作不能に陥らせ、戦闘機を撃墜しました。




 ジャスパー・マスケリンは、このようにマジックの技法を用いて戦争を戦い抜きました。軍事力を用いずに戦い、多大な功績を残した彼は、第二次世界大戦を終結させた男と呼ばれています。

 実のところ、彼の名前や功績が正式に発表されたことはなかったそうです。それは、ジャスパー・マスケリンに関する情報はイギリス軍の極秘秘密事項になっているからだと言われています。




参考サイト
http://www.maskelynemagic.com/


 

 この事例は「オペラ座の怪人」連載の1909年よりもずっと後の出来事です。もしかしたら連載以前にもこんな事例があったのかもしれませんがルルーの独自の発想だとしたら素晴らしいですね。
 ルルーはマスケリンのような「悪魔的な発明」を用いて活躍をするエリックを空想していたのかもしれません。1857年当時、アフガニスタンにおいてはエリックのお得意の光(アーク灯、ストロボ)の技術も、内陸の(アーク灯を用いた灯台のない地域の)アフガニスタンの兵士にとっては脅威だったに違いないでしょう。その他に様々なトリックを用いれば相手を追い込む事が出来たかも知れません。

 ちなみに「帝国との戦い」の「帝国」は大英帝国の事です。当時、アフガニスタンを巡って二つの大国が睨みあっていました。それはロシア帝国とインドに侵略した大英帝国です。
 1856年にペルシャはロシアの勧めにより、英国との条約を無視してアフガニスタン侵攻(10/25)、インド総督はロンドンから命令で11/1、宣戦布告。
 ヘラートは中央アジアへの入り口で戦略的に重要な拠点だったようです。その地をロシア帝国の影響下に置く事は大英帝国には由々しき事態で、海軍を動かす事に繋がったのです。
 


 余談ですが、管理人は「オペラ座の怪人」の二次小説の書いているのですが、ペルシャ編ではぜひこの戦いを書いてみたいと思っています。


 
 (1856-1867、ペルシャ・イギリス戦争KOOSHABにて突撃するボンベイ装甲隊)

Bombay Cavalry AT ANGLO PERSIAN WAR 1856-1857 AT KOOSHAB
              
                                          
               
  


2010/10/16